海外のろう者へのインタビュー

(6)ネパール&ラオス

2015年10月24日、2015年度ダスキン研修生のギャンさん(ネパール)とハニタさん(ラオス)にインタビューした内容をご紹介します。

※本インタビューは、話者の主観で語られている部分があり、実情と異なる場合があります。予めご了承ください。

ギャンさんとハニタさんへのインタビュー

研究員①:こんにちは。
 
ギャン(Gyan)、 ハニタ(Phanita):こんにちは
 
研究員①:まず、お名前と出身地を教えてもらえますか?
 
ギャン:はい。私の名前はギャンです。サインネームは(「L」」手型の手を右こめかみの横で2回下ろす)です。
ネパール出身です。首都カトマンズ(kathmandu)から200km離れた、ポカラ(Pokhara)という農村で育ちました。
 
ハニタ:私はハニタです。サインネームは(両手握りこぶしを両こめかみの横でひらひらさせながら下ろします。出身地はヴィエンチャン(Vientiane)です。出身国はラオスです。

研究員①:ありがとうございます。次に、今の仕事を教えてもらえませんか?
 
ギャン:私はまだ仕事をしておらず、今は学生です。
 
研究員①:何を勉強されているのですか?
 
ギャン:ろう教育です。
 
研究員①:ハニタさんは何をされていますか?
 
ハニタ:私はラオスろう協会の事務局で働いています。副会長を務めており、会計の仕事もしています。もし、いつか国から助成を受けることができれば、ろう教育にも力を入れたいです。子どもへの教育ではなく、成人教育です。学ぶ場が無く、手話も分からない人たちに教育を施したいと思っています。また、手話通訳の分野も頑張りたいです。
 
研究員①:なるほど。分かりました。ハニタさんの話にもありましたが、ラオスとネパールには、手話通訳制度がありますか?
 
ギャン:はい、ネパールには手話通訳者がたくさんいますが、政府からの助成はありません。また、制度も確立されていません。しかし、国からの助成で、通訳を養成するところはあります。
 
研究員②:大学で勉強する時は、通訳がついているのですか?
 
ギャン:カトマンズの大学では、午後と夜に手話通訳がつきますが、ポカラでは手話通訳はありません。ポカラはろう者が少ないからです。私は健聴者の友人のノートを見せてもらっているので、勉強の遅れはありませんでした。
 
ハニタ:ラオスでは昔はあったのですが、今はありません。理由は政府から大学への助成が無いからです。ろう者が申し立てても却下されるばかりです。通訳者になったとしても、賃金が支払われないので、他の仕事をするしかありません。ただし、手話通訳のための学校はあり、そこには政府からの支援があり、医療機関の一部として助成されています。
 
研究員①:日本の厚生労働省のようなところなのでしょうね。わかりました。続いて、お二人の生い立ちを教えてもらえませんか?
 
ギャン:はい。私の家族は、親が健聴で、私と弟がろうです。7歳の時に引っ越しするまでは、ろう者が20人いる学校で勉強しました。その後、ポカラに引っ越ししました。そこはろう者が多く、良い環境でした。その後はそこで育ちました。高校まで学び、大学に入ることができました。
 弟は、13歳ぐらいの時に聴力が落ちましたが、健聴者だけの学校に通いました。ろう学校に換われば良いという考えもありましたが、結局、普通校に通い続けました。普通校の方が最新の内容を学べるし、友人とのコミュニケーションも問題なくできていたようなので、弟は順調に成長していくことができました。今は大学で獣医学を学んでいます。
 
ハニタ:私は、生まれたときは、ろうではありませんでした。2歳の時に失聴しました。理由は、熱病にかかったからです。薬を飲んでいるうちに失聴していき、ろう者になりました。両親と二人の弟は健聴で、私だけがろう者になので、コミュニケーションが難しかったです。ちょっとした手話を使い、短めの会話を口話でしていました。筆談をすることはあまりありませんでした。家から出て、ろう者と会ったときは手話で会話をしていました。
  小学校に入るまでは聴こえる子どもたちと一緒に幼稚園に通い、小学校も普通学校に入りましたが、1~2週間で嫌になりました。なぜかというと、先生が口話で授業を進めていたからです。板書をノートに写すことはできるのですが、その意味がわかりませんでした。また、友達も出来ずに孤立していったので、嫌になっていき、両親にそのことを伝えました。両親は、ろう学校を探してくれました。母親は、ろう者同士手話で会話する光景を目の当たりにし、良い環境だと思ったそうです。その後はろう学校に通いました。
 
研究員②:何歳の時に、ろう学校に入学されたのですか?
 
ハニタ:8歳です。卒業したのは15歳の時です。高校はありません。高等部のあるろう学校が無かったのです。ですから、勉学の面で、健聴とろうの差が大きくなっています。中学校を卒業した後、ろう協会の仕事に就きました。
 
研究員①:その協会には、何人のろう者がおられるのですか?
 
ハニタ:ビエンチャンには、会員が220人います。ラオス全体では、22,405人います。これは政府が調査した結果です。
 
研究員①:ネパールはどうですか?
 
ギャン:ネパールには、ろう協会がたくさんあります。山岳地帯など僻地には、ろう者が多いと聞いていますが、詳しいことは分かりません。私が知る範囲では、5,000人くらいです。学校が遠くて通えないなどの問題を抱えている人もいます。ネパール西部には、このような問題に悩んでいる人が多いです。
 
研究員①:ラオスも同様ですか?
 
ハニタ:ラオスには学校が2つあります。ビエンチャンとルアンパバーン(Luang Phabang)です。以前は3つありましたが、今は1つ減り、2校となっています。1校が廃校になった理由は、校長が亡くなり、他の教師も転職したりで教員の数が少なくなったからです。そこ在籍していた子どもは、ビエンチャンかルアンパバーンに移ったのです。
 
研究員①:そうなのですか。成人ろう者の状況はどのようになっていますか?
 
ギャン:はい。ネパールでは多くのろう者が学校教育を受けていますが、仕事に就く人は少ないです。その理由は、社会がろう者に対し、差別的な価値観を持っているからです。ろう者を自立のできない、赤ちゃん同様のものと見なしています。今はこのような偏見に対して、デモを行っているところです。
 
研究員①:デモを?
 
ギャン:ろう者にも仕事を与えるべきだ、と訴えています。でも、政府には看過されることが多いです。
 
研究員①:ハニタさんの国では、どのような状況ですか?
 
ハニタ:ラオスでも、卒業後のろう者は職に就けない状況になっています。高校や大学に進む機会がなく、入社を断られることが多いです。レストランの皿洗いなどの仕事をする人が多数です。
 
研究員①:そうなのですか。ところで、ろう者同士の結婚はあるのですか?
 
ギャン:あります。
 
研究員①:生まれた子どももろう者ということもありますか?
 
ギャン:うーん…わかりません。子どもが健聴者というのはありますが。
 
研究員①:結婚される場合、生計はどう立てているのですか?
 
ギャン:本人たちの親が面倒を見たり、親の仕事の手伝いをするなどしています。
私も、いずれ会社に入ったり、ろう学校の先生になった時は結婚したいですね。
 
研究員②:先生になった時は、何を教えるのですか?
 
ギャン:数学です。子どもたちに計算方法を教えたいです。
 
研究員①:ラオスでは、ろう者同士の結婚の状況はどうなっているのでしょうか?
 
ハニタ:はい。ろう者同士の結婚が、ろう者と健聴者の結婚よりも多いです。生まれる子どもは健聴児が多数です。会社に入ることができないので、繊維業や調理補助で生計を立てている人が多くなっています。
 
ギャン:ネパールも同じような感じです。女性は同様に繊維業や調理補助等の仕事を頑張っていますが、男性はあまり働きません。
 
研究員②:社会的身分では、男性の方が上になっているのですか?
 
ギャン:法律的には同等です。立場は同じになっています。
 
研究員①:なるほど。続いて、今ろう者が抱えている問題とはどのようなものですか?
 
ギャン:まず、ろう者が弱い立場にいることが1番の問題です。ろう者が力をもてば、仕事など様々な面で活躍することができます。
 
研究員①:障害者福祉制度はあるのですか?
 
ギャン:はい。ありますが、まだ不十分です。学校教育や医療機関は無償で受けられます。手話に関することは後れを取っています。一方で、肢体不自由者に対しては十分な保障があります。私としては、ろう者も、肢体不自由者も、同じ障害者同士で力を合わせてやっていきたいのですが、協力体制は出来ていません。
 
ハニタ:聞こえる人は、音声によるコミュニケーションだけで進めてしまいますからね。
 
研究員②:そういう時に、手話通訳が必要になりますね。健聴者と協力し合っていくことが大事ですね。
 
ギャン:そうです。その通りです。
 
研究員①:ラオスでは、ろう者が抱えている問題とはどのようなものですか?
 
ハニタ:学校です。大学が無ければ高校もありません。また、教師の数も不足しています。通訳者の数も少ないです。これらが問題になっています。デモも出来ません。これは健聴者も同じです。健聴者も障害者もデモをすることは禁止されています。日本は認められているのですよね?
 
研究員①:はい、認められています。
 
ハニタ:ラオスでは認められていません。要望までは認められています。
 
ギャン:デモはネパールにもありますが、ろう者を援助しようという考えはなかなか出ません。
 
研究員①:なるほど。以前、ネパールで地震が発生しましたね。その後、今の状況はどうなっていますか?
 
ギャン:うーん…。選挙での党間の争いがあり、皆、自己中心的に動いていますので、それが問題になっています。崩れ落ちた建物を再建するための具体的な取り組みはまだです。
 
研究員①:寺院なども崩れたのですか?
 
ギャン:つぶれました。沢山。
 
研究員①:復活のめどはありますか。
 
ギャン:ありません。
 
研究員①:そうですか。
 
研究員②:ネパールのろう学校に、ろうの先生はおられるのですか?
 
ギャン:います。幼稚部と小学部にいます。ただ、問題は国からの給料がないことです。健聴者と同じ仕事をしても、健聴者は国からお金をもらい、ろう者はもらえません。教員試験は受けることはできるのですが、受かるだけの力がないのが問題です。
 
研究員①:法律の中で、ろう者を排除するような文言があるのですか?
 
ギャン:いや、障害者でひとまとめに括られていて、特に「ろう者」という言葉は出てきません。「障害者を1%雇用すること」という文言はあるのですが、ろう者はなかなか受かりません。
 
研究員②:同じ試験に合格したのに、格差が出るのはおかしいですね。
 
ギャン:それから、試験の中にはヒアリングテストがあるので、ろう者が合格するのは難しくなっています。また、合格後も手話通訳がついていなかったり、高度な文章を作成することができない、などの問題もあります。
 
ハニタ:ラオスでは、国から学校に対し援助するのではなく、病院や警察などから援助しています。健聴者もろう者も同じ立場で、もしもろう者が試験に合格した場合は、病院などから援助を受けます。
 
研究員①:ラオスにろうの教師はいますか?
 
ハニタ:はい、います。ただ、大学まで進んだろう者がいませんので、何を教えるかというと、美術です。絵画などを教えます。なぜ、病院の方から支援するのかというと、政府はろう者のことを理解せず、一方で病院側は深く理解しているからです。その理由は、病院はいつもろう者と接し、ろう者が抱えている問題を見聞きし、そのおかげで責任を持って支援する立場となったのです。病院の援助のもと、新しいろう学校が1992年に設立されました。
当初、教師は5人の病院職員(健聴者)でした。タイで教育法や手話を教わり、その後ラオスに戻り、ろう教育に関わりました。やがて、ろう生徒の数も増え、卒業後はろう協会で働く人も出てきました。
 
研究員①:協会が設立されたのは、いつごろでしょうか?
 
ハニタ:小さなユニットができたのは、2003年です。障害者協会の傘下としてできました。2013年に、協会として発足しました。
 
研究員①:そうなのですね。ギャンさん、ネパールには障害者福祉はあるのですか?
 
ギャン:あります。割引などの福祉制度は、ネパールにもあります。仕事がない人や、高齢者などに対する支援はありますが、地域によって支援の程度が異なります。医療機関の無償化などがあります。
 
ハニタ:ラオスには公共交通機関の割引などはありません。健聴者と同様となっています。ろう者自身が交渉して、安くすることは出来ます。法律など、はっきりとしたルールはありません。これは他の障害者も同様です。また、運転免許なども健聴者と同じように取ることができません。これは今政府に訴え出ています。ろう者が車やバイクを運転し、もしも警察に見つかった場合でも、ろう者であるとわかり、コミュニケーションが難しいと分かれば、目をつぶる場合もあります。
 
研究員③:ネパールのろう学校では、健聴の先生とろうの先生、どちらの方が多いですか?
 
ギャン:健聴の先生が多く、ろうの先生は少ないです。
 
研究員①:ろうの先生は何人いらっしゃいますか?
 
ギャン:5~6人位です。
 
研究員①:健聴の先生は?
 
ギャン:20人以上です。
 
研究員②:日本と同じくらいですね。
 
研究員③:どのような科目を教えていますか?
 
ギャン:日本と同じで、算数や理科などを教えています。中学部以上では、健聴の先生が多くなっています。
 
研究員③:ネパールでは、何歳ごろからろう学校に入ることになっていますか?
 
ギャン:5歳以上からです。それからは、学力や成績に応じて学年が上がります。アメリカや日本みたいに、年齢にともなって上がるわけではありません。ネパールでは年齢は関係なく、試験に合格する必要があります。
 
ハニタ:成人のろう者でも入学できるのですか?
 
ギャン:いえ、教育上で問題がある成人ろう者は、ろう協会が教えることになります。手話で教育します。10歳前後でも、不安がない子はそのまま学校に残りますが、問題を抱えている子は、ろう協会に移されます。
 
研究員①:もし、まだ10歳でも試験に合格すれば、高校に入ることはできるのですか?
 
ギャン:いえ、1年ごとに進級することになります。いきなり高校に入るのは無理です。幼稚部は1年、小学部は4年、中学部は3年、高校は4年と決められています。合わせて12年間です。
 
研究員②:それらは義務教育ですか?日本では、小・中学校が義務で、高校から自由になりますが。
 
ギャン:ネパールも同じです。小・中学校が義務教育です。
 
研究員③:ハニタさん、ラオスはどうですか?
 
ハニタ:ろう学校は7歳から15歳までと決められています。幼稚部のあるろう学校はありません。もし幼稚部に行かせたい場合、健聴のほうに行かせることになります。15歳以上もろう学校がありませんので、ろう協会に移ることになります。
 
研究員③:ろうの教師の数は、何人ほどですか?
 
ハニタ:ろうの教師が3人で、健聴が10人ほどです。健聴のほうは大学卒です。ろうの先生が教えるのは小学部で、中学部は健聴の先生が教えることになっています。なぜかというと、ろうの教師は教科を教えることがなかなかできず、それよりも手話を教えることの方が適しているからです。まず、ろうの先生が手話を教えて、それから健聴の先生が勉強を教える流れになります。
 
研究員③:ろう者が、ろう学校の先生になりたいと思ったとき、試験はあるのですか?
 
ハニタ:ありません。中学校を卒業した時、先生にならないか学校側に打診されます。希望者は学校に赴いて教えることになります。学校側は教え子に対し打診するので、よく知っている人物を採用するわけです。
 
研究員③:試験に受かった人だけが教科を教えられるのですか?
 
ギャン:ろう児を教えるのは、健聴の教師よりろうの先生が適しています。しかし、先生になった人は政府から何の援助もありません。他の国からの援助によってまかなっているのが現状です。これに関しては、これから時間をかけて変わっていくのではないかと思います。
ろう児に対しては、ろう者が手話で教育することによって、子どもたちの学力を伸ばしていくことができると考えています。
 
研究員①:NGOなどの協力は受けているのですか?
 
ギャン:そうです! ろう協会の協力を受けています。
 
研究員②:ろう協会では、手話の本を作り、普及を行っているのですか?
 
ハニタ:しています。希望者に対して、収集分析したものを印刷してお渡ししています。
 
研究員②:その作った本を活用して、健聴者に教えたりはしていますか?
 
ハニタ:行政関係者10人ぐらいに教えることがあります。障害者福祉に関わっている人たちです。自身が障害者を持っている人、その家族やろう者等、誰にでも無料で配布しています。もし販売すると、政府に警告されます。なぜかというと、オーストラリアにも援助してもらっているからです。これまで、数冊は作っています。
 
研究員③:テレビを視聴する時に、手話通訳者がワイプに映り、手話通訳を行うことはありますか?
 
ギャン、ハニタ:全くありません。まだまだです。
 
研究員③:ろう者が主に情報を得る方法は何なのですか?
 
ハニタ:字幕が付いているので、それを見ます。しかし、読み書きできるろう者は情報を得られますが、できない人は得られません。また、家族や友達に教えてもらいます。
 
研究員③:インターネットは活用しますか?
 
ハニタ:PCの扱い方が分からないろう者が多いので、難しいです。
 
ギャン:日本は常に字幕が付いていますが、ネパールでは、字幕が付くのは週に1回だけ。手話を使った番組もありますが、週に1回、30分のみです。
 
研究員①:NHKの手話ニュースはご覧になりましたか?
 
ギャン:はい、視ました。
 
研究員③:情報機器、例えばFAXは家にあるのですか?
 
ギャン、ハニタ:ありません。
 
研究員③:政府から金銭面での援助はありますか?
 
ギャン:ありません。
 
ハニタ:ラオス政府は金銭援助を行いませんが、障害者に関する法律があり、企業が対象なのですね。
 
研究員①:ネパールやラオスでは、ろう者もスマートフォンを持つのですか?
 
ギャン、ハニタ:持っています。
 
研究員①:通信料などはどうしているのですか?
 
ギャン:プリペイドで先に料金を支払い、その分だけ使います。スカイプは無料で使えますので、いつも使っています。
 
ハニタ:月に1回支払っています。費用が高いので、ろう者は頑張ってお金をためて、そのなかから利用することが多いです。
 
研究員①:最後に、このダスキン・アジア太平洋障害者リーダー事業の研修が終わり、自国に戻ってからの目標や抱負を述べてください。
 
ギャン:日本で学んだことをそのままネパールに持ち帰り、日本と同様のものにしたい、という気持ちがあります。
 
研究員②:同様にしたい、というのは何ですか?教育ですか?
 
ギャン:最も強く感じるのは、通訳制度です。今は、お金もない、ルールもない、力もない。たくさん問題があります。
 
ハニタ:私は、4つの目標を持っています。1つ目が、健聴者の障害理解です。ろう者の存在を知らない人も多いので、情報を発信していき、健聴者と対等な立場にしたいです。
2つ目が手話通訳です。今、手話通訳ができる人がいません。職場などでろう者に対し、手話通訳を付けることが大事だと考えています。3番目、政府から継続的な支援を受けることです。今まで政府からの援助は無く、NGOから受けていましたが、2年〜3年で終わることが多いです。手話通訳も同様です。4番目としては、教育です。学校教育を受けてないろう者が多いので、そのような人たちに対して教育を受けさせることです。この4つが私の目標です。
 
研究員①:分かりました。インタビューは以上です。どうもありがとうございました。