海外のろう者へのインタビュー

(9)ウクライナ ① 生い立ち

2022年9月25日、全国手話研修センターにて、ウクライナから日本に避難されたウクライナろう者4人に対してインタビューした内容をご紹介します。
 
※本インタビューは、話者の主観で語られている部分があり、実情と異なる場合があります。予めご了承ください。

オレクサンドルさんへのインタビュー「生い立ち」

研究員:日本へようこそ。
 
オレクサンドル:ありがとうございます。
 
研究員:オレクサンドルさんのサインネームは何ですか?
 
オレクサンドル:こうです(指文字「F」を右目の前で数回揺らす)。
 
研究員:お住まいはウクライナのどちらですか?
 
オレクサンドル:キーウから30kmほど離れたところに住んでいます。
 
研究員:わかりました。お仕事は何をされていますか?
 
オレクサンドル:歯科技工士です。歯に関するいろいろなことをしています。
 
研究員:何年ほどされているのですか?
 
オレクサンドル:30年です。
 
研究員:30年ですね。
 
研究員:ありがとうございました。次に、オレクサンドルさんの生い立ちを教えていただけますか?
 
オレクサンドル:私は生まれた時からきこえず、学区としては、キーウではなく、別のところのろう学校に通う必要があったのですが、親はキーウの学校に行かせたかったようです。
行政と交渉し、許可をもらい、2歳の時にキーウのろう学校に入りました。
18歳までその学校に通いました。
今は2歳から6歳まではその学校、6歳以上は別の学校…というように、システムが変わったみたいです。
児童が学ぶ校舎、生徒が学ぶ校舎、食堂や寄宿舎のある校舎の3つに分かれていました。
卒業した後、別の街で歯科技工士の勉強をしました。5年間です。
その後は家の近くで歯科技工の仕事を始めました。30年間続けていました。
歯科技工の仕事は小さい頃からの夢でした。親は他の仕事に就かせたかったようですが、私は私の希望を貫き通しました。
今は業務が戦争によって中断されています。もし戦争が終わったら、ウクライナに戻って再開したいです。
ウクライナが大好きなので。
 
研究員:なるほど。ありがとうございました。
 
オレクサンドル:ありがとうございました。
 

ボズコさんへのインタビュー「生い立ち」

研究員:生い立ちについてお話をお願いします。
 
ボズコ:はい、家族は全員聴者で自分ひとりがろう者です。
2歳半頃から耳が聞こえなくなりました。両親ともに音楽家で、祖母は教員をしていました。
そのような環境だったため、耳が聞こえないとはいえ、音声で話すように教育を受けました。4歳になると、ろう児を含めた教育を行う施設で手話を使った教育を受け、その後、7歳から18歳までは聾学校でさまざまな経験をすることができました。
卒業した後は、大学へ入学しましたが、そこでは、ろう者は自分一人だけで、自分以外は全て聴者の環境となりました。大学では、洋裁、デザイン関連を専攻として学びました。大学は5年間滞在すべきところ、キーウで生活をすることになったため、経済的な理由などを考えて、大学は3年で中退することになりました。
その後、洋裁の技術を活かして、ろう者2名、聴者2名で仕立て屋の会社を設立し、仕事をしました。
洋裁の会社での仕事は30年続きましたが、その後、ガイドの仕事へと転職しました。きっかけは、友達から、「歴史も得意だし、話し方が上手だからガイドの仕事が合うのではないか」と言われたことですが、洋裁の仕事を続けることも迷ったのですが、ガイドの仕事を始めることにしました。
外国旅行などで聴者を対象としたツアーに参加しましたが、行程や進め方がろう者には合わないと感じ、ろう者のツアーはろう者に合う形で行程を変え、バスの中で長く説明を聞いたり、一か所に立ち止まって音声で聞いたりする方法ではなく、もっと視覚的に楽しめるろう者に合う行程を作る必要があると感じました。最初のツアーは、ドバイ、次は、15日間50名のろう者と一緒にヨーロッパを巡るツアーを企画しました。
これまでのガイド歴は20年になります。今になって思い起こすのは、祖母が、7歳の自分に、地図を自分に持たせて、自分でコミュニケーションをしながら行ってみなさい、と言って自分を先頭に立たせていろいろな経験をさせてくれたことに感謝したいということ。あの時の経験がとても役に立ったと思っています。
 

マリーナさんへのインタビュー「生い立ち」

研究員:こんにちは。マリーナさんをお招きしました。ウクライナのきれいな民族衣装を着ておられます。ご挨拶お願いいたします。
 
マリーナ:今はまだ、国際手話が十分にできないので、これから国際手話の勉強をしていきたいと思っています。
 
研究員:サインネームを教えてください。
 
マリーナ:日本手話はまだ少しなのですが・・・
「私の名前は、マリーナ。」
 
研究員:日本の手話で、マリーナって指文字で表現されました。サインネームは、人差指を耳の横で動かす表現ですよね。
 
マリーナ:そうです、人差指を耳の横で動かします。
 
研究員:生い立ちについてお話いただけますか。
 
マリーナ:両親、家族ともろうでデフファミリーです。家はキーウにあります。キーウで育ちました。
結婚して子どもは2人います。上はろうで成人しており、下はきこえる男の子のコーダです。
子どものころ3歳から手話で勉強を教わり始め、16歳で学校を卒業し、大学に入ってコンピューター関係の勉強をしました。
仕事はコンピューター関係だったのですが、それとは別にスイーツを作るのが好きだったのでコンピューターの仕事をやったり、スイーツづくりの仕事をやったりと、仕事を変えてきました。スイーツを作るのが本当に大好きなのです。
パティシエになりたいと非常に強く思ったので、コンピューターの仕事をもうやめて、どこか学べる場所がないか調べたところ、イギリスのロンドンで指導してくれるところを見つけ、許可をいただいたので、2年間そちらで料理の勉強をさせていただきました。
イギリスでの勉強を終えたのですが、まだ足りないと思ったのでもう一度調べて、今度はイタリア、本場のイタリア料理の勉強をしに、ローマに行き、そこで1年間一生懸命イタリア料理の勉強をしました。
その後、ポーランドとフランスの2カ国に行って経験を積んで、ウクライナに戻ってきて本格的に仕事を始めて、レストランを経営し始めました。
日本にいる間、できればいろいろな料理を学びたいと思っているところです。
いろいろな国に行ってさまざまな料理方法を学びたいと思っています。
 
研究員:ありがとうございました。
日本での成功をお祈りしています。頑張ってください。
 

アンドレイさんへのインタビュー「生い立ち」

研究員:生い立ちについて話してください。
 
アンドレイ:自分の両親は聴者で、自分は先天性のろう者です。幼いころ、手話による教育を受け、その後7歳から12年間学校教育を受け、大学に進学しました。5年間滞在し、卒業後はタクシー会社に就職しました。ウクライナでは多くのろう者がタクシーの仕事をしています。連絡方法は、以前はガラケでしたが、今はスマホで行えます。