(10)モルディブ
2019年度ダスキン研修生のアーワンさん(モルディブ)にインタビューした内容を紹介します。
※本インタビューは、話者の主観で語られている部分があり、実情と異なる場合があります。予めご了承ください。
アーワンさんへのインタビュー
研究員①: 自己紹介をお願いします。
アーワン:私はアーワンです。サインネームは(人差し指で右こめかみからほおに)こうです。モルディブ出身です。モルディブの手話は(手型は「C」で耳の上に)こうです。
生まれたときは聞こえていましたが病気で聞こえなくなり親と一緒にインドまで行って病院を探しました。原因が分かりませんが、病気で完全に聞こえなくなったと母が言っていました。完全に聞こえなくなってからの生い立ちはよく覚えていますが、聞こえていた頃は全く覚えていません。モルディブに戻って聞こえる学校に通いました。
研究員①:それは、小学生の時ですか?
アーワン:そうです。授業は全く分かりませんでした。そのためろう学校に入りました。今はろう協会の活動をしています。
研究員①:ろう学校に入ったのはいくつでしたか?
アーワン:10歳くらいでした。
研究員①:ろう学校では手話を使いましたか?
アーワン:はい、手話を使っていましたが、頭がよくありませんでした。英語もモルディブ語も苦手でしたが計算は得意でした。先生は手話ができず口話で教育を受けましたが、BSL(イギリス手話)の本とインド手話の本を使って学びました。BSLとインド手話を混ぜて使用していたのです。
14歳か15歳の時に(2007年位)、ろう者のためのクラスに入りました。
インドのコーダがモルディブに来て、聞こえる人のための学校を作り、その中に1985年にろう者のためのクラスを作ってくれたのです。できた当時は、年が上の人は少ししか学べませんでした。でも、インドのコーダが手話で英語を教えてくれたおかげで、ろう者の生徒はみんな英語を理解できるようになったのです。いい先生でした。
研究員①:そうでしたか。今もそのコーダの先生はいますか?
アーワン:いいえ、個人の事情があってインドに帰ってしまいました。
モルディブには以前はろう協会がなく、インドのコーダが驚いたらしいです。彼が支援してモルディブにろう協会ができ、モルディブ手話の本も作ったのです。
(本を見せる)
研究員①:この本ですね。以前ダスキン研修生として日本に来たモルディブのろう者のサインネームは(手型はこぶのような形で右頭にあてる)こうです。その人とインドのコーダの先生が一緒に作られたものですね。
アーワン:そうです。2008年、初めてモルディブにろう協会ができました。そのろう者はろう協会を作って会長になり、インドのコーダは事務局として務めました。好評で助成もあり、3つの島にモルディブ手話を広めていったのです。私はまだ学生でした。
ところが、2011年になる前だったと思いますが、WFD(世界ろうあ連盟)がモルディブろう協会を加盟しようとした頃、ある問題が起こって、WFDに加盟できませんでした。2009年にモルディブ手話の本ができたのですが、2011年にインドのコーダは帰国しました。残念です。
※事実確認ができない一部の内容については、発言内容を抽象化して掲載しました。
研究員①:その後、モルディブろう協会は立て直しましたか?
アーワン:ろう協会があるものの、事務所がありません。私は2013年に卒業して(実家がある)島に帰りましたが、仕事が見つからなかったため、ろう者が多くいる街に戻って仕事をしました。2017年からろう協会会長として務めました。ただし、事務所がありませんでした。2014年までは4年間安い事務所を借りることができたのですが、問題が起きたため契約の継続が難しくなりました。
研究員①:国からの援助はないですか?
アーワン:ないですが、活動に関するものの支援はあります。
研究員①:どういった支援でしょうか?
アーワン:手話指導に関するものだけです。日本のダスキン研修事業で学んだろう者がモルディブに帰国してからろう協会の仲間5~6人と一緒にモルディブ手話の本を作ったのです。すごいです。今までBSL(イギリス手話)の指文字を使ったりインド手話など混ぜた手話で表したりしてきたのですが、彼は国の言語として認められるようにモルディブ手話を教えていったのです。
研究員②:(本を開いて)左側は英語ですが、右側は英語ではないですね。
アーワン:そうです。
研究員①:両手を使うBSLの指文字でしたが、今は片手だけ使うアメリカ手話の指文字です。
研究員②:なるほど。いつ頃発行されたのですか?
研究員①:2009年でした。
アーワン:そうです。
研究員①:その後、新しい次の本も発行されましたか?
アーワン:いいえ、最初の本だけです。
研究員①:この本を作るためにお金はどこから支援されたのですか?
アーワン:モルディブ手話を収録したデータはインドで本を作ってモルディブで発行したのです。インドのコーダがやってくれたのでお金はかかりませんでした。
アーワン:インドのコーダはインドでろう協会を作って活動をしています。
研究員①:インドのなかでどこのあたりでしょうか?
アーワン:わかりませんが、北のほうだと思います。手話通訳の仕事をしているようです。
研究員①:さておいて、多くのモルディブのろう者はどんな仕事をしていますか?
アーワン:ホテルの仕事(洗濯など)、漁師、空港の整備、コンピュータの仕事です。私は会社でコンピュータの仕事をしました。自営をしている会社は簡単に入ることができませんが、政府の下にある会社に入ることができます。2016年から政府より通達があり障害者差別を禁止し、ろう者も障害者もみんな働くようになりました。
研究員①:ろう協会の会員は何人いますか?
アーワン:約170人です。ろう協会のメンバーは離れた島々に住んでいます。いつも集まるのは50~60人です。島がなかったら100~200人は集まるでしょう。
研究員①:それぞれの島の中にのろう協会がありますか?
アーワン:いいえ、ありません。ろう協会は1つだけです。
研究員①:島にいるろう者は孤独になってしまわないでしょうか?
アーワン:1つの島で3人くらいのろう者がいます。ろう者が多い島もあれば少ない島もあります。ろう者に会いたくなくて家を出ないろう者もいます。
研究員①:島の中でもっと年齢が高いろう者がいますか?
アーワン:はい、私の島では1人います。その人に会いました。
研究員①:手話で話していましたか?
アーワン:いいえ、身振りです。高齢者だけではなく若いろう者も、会ったら手話ではなく身振りで話しました。モルディブ手話が広まるように支援していますが、古くからある手話はないのです。
研究員①:1985年にろう学校ができてから、モルディブ手話が広まるようになったのでしょうか?
アーワン: 仕事が見つからないし、給料が安くて家賃が払えなくてろう学校に行けないため、離れた島に暮らす若いろう者がたくさんいます。私は昔の手話を知りたくて、いくつかの島に行きました。ろう者に、住んでいる島の手話は何かを名前を尋ねたら「C-13」と答えます。それは船に番号がついているものから取って表現されたのです。しかし、自分の島の手話を表現するろう者もいます。たとえばあの島は(旗のような手話表現)こうです。
研究員①:旗のような表現ですか?
アーワン:銀行や病院のある島は(旗のような表現)こうです。自分で考えた手話なのか、確認してみたら聞こえる人の表現があったといいます。漁師での仕事仲間(聞こえる人)と話していた時に(旗のような表現)こう使ってすぐわかるのです。島のろう者の手話がいろいろあります。
研究員①:なるほど。聞こえる人とのコミュニケーションが手話表現のきっかけとなることもありますね。
アーワン:首都のマレの手話と島の手話とは全く違うと友人から聞きました。ろう学校に行っていないため手話が違うのです。文化も違います。
研究員②:手話通訳者は何人いるでしょうか?
アーワン:4人です。ほとんどろう学校の先生です。女性3人、男性1人です。2人はろう学校の先生、1人は会社、もう1人は大学で仕事をしています。
研究員①:手話通訳養成はしていますか?
アーワン:今はないです。
2年前、政府の下にあった若者スポーツ推進に関する施設の中で部屋を借りて1か月間、週3回くらい手話を指導して修了書まで出しましたが、学んだ聞こえる人はろう者に会う機会がなく手話を忘れてしまったのです。ろう協会の事務所がないため指導が続かないのです。1年間指導したいけれども部屋を借りることができません。ろう協会の手話指導グループが政府に手話講座を開くために部屋の貸し出しを交渉しましたが、ダメでした。理由はほかの団体も利用したいため長期の貸し出しは難しいようです。モルディブでは11月から12月は学校の長期休暇があります。そのため手話通訳者の知り合いの学校の教室を借りて手話講座を開いたことがあります。部屋代は無料でしたが、今は支払うようになったので、うまくいきません。手話講座を開くための運営方法を日本で学んでから支援していきたいです。
研究員①:そうでしたか。頑張ってください。ほかに質問はありますか?
研究員②:ろう学校ではろうの先生はいますか?
アーワン:初めてろう女性の先生が来られましたが、本人も主人も給料が安くて生活ができないため会社に転職しました。4か月くらい前、ろう者2人が学校を卒業したばかりですが、仕事が見つからないためろう学校の先生をしています。
研究員①:男性ですか?それとも女性ですか?
アーワン:2人とも女性です。
研究員②:ろう学校は口話教育ですか?それとも手話教育ですか?
アーワン:両方です。今は人工内耳装着者もいます。
研究員②:補聴器をつけていますか?
アーワン:前はつけていましたが使わなくなりました。
研究員②:あなたはろう学校に入ってから手話を覚えましたか?
アーワン:はい。
研究員②:聞こえなくなったのはいくつでしたか?
アーワン:覚えていません。アルバムを見て、聞こえなくなった後の記憶はあります。
ろう学校では将来、アメリカの大学に入るとよいのでASL(アメリカ手話)を使っているようです。ダスキン研修事業で学んだ先輩がASLを使わず自分の国の手話を使ってほしいと言っていました。世界では英語をよく使うからASLを使うべきだと先生が言い張っているので、私は日本で学んでから説明したいと考えています。
研究員②:ダスキン研修事業で何を学びたいですか?
アーワン:ろう協会と手話通訳者養成のあり方を学びたいです。また日本の手話や文化なども知りたいです。手話についてもっと知りたいです。ダスキンの先輩はいつも忙しいです。インドのコーダがいた頃はとてもよかったですが、多くの壁があります。問題を解決するために前向きに考えて日本でたくさん学びたいです。
研究員②:ありがとうございました。